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2006年01月07日

17の意味

昨年からサガン鳥栖の永久欠番及びサポータズナンバーが17番に設定された。 永久欠番の設定はJリーグの中でもサガン鳥栖が初めてである。 佐賀県にプロサッカーチームを誘致し鳥栖フューチャーズ解散後も佐賀のサッカー文化を消してはならないとサガン鳥栖の設立に多大な尽力を注がれた故坂田道孝氏が逝去されたのが1999年1月7日。 その命日1月7日からサガン鳥栖の17番が永久欠番になったのだ。

また、 他のクラブでは12番目の選手としてサポータズナンバーが12番になっているところがほとんどだが選手は11人で戦っている訳ではない。 サガン鳥栖ではベンチに入っている選手を含めピッチレベルで戦っている選手は16人という考え方。 その次の選手としてサポーターズナンバーが17番に設定されている特別な意味をもった素晴らしいナンバーなのだ。

1月7日はサガン鳥栖にとってもサポーターにとっても非常に思い入れが深い日なのだ。

坂田道孝
2005年1月30日、Jリーグ初の永久欠番に制定。 佐賀大学教授で佐賀県サッカー協会理事長だった坂田は1994年、静岡県浜松市にあったPJMフューチャーズを佐賀県鳥栖市に誘致し、 鳥栖フューチャーズを発足させた。 クラブチーム中興の祖であり、経営難による鳥栖フューチャーズ消滅後も、設立活動に尽力を注ぎ、 チームを復活させた鳥栖最大の功労者。 チームの再興を見届け、1999年1月7日逝去 (命日1月7日にちなみ意志を受け継ぐという意味で17番を永久欠番に制定)。
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